『陽の聲』

1

画家は今でもあの硝子玉を掌で転がす。
戦前の民家から掘り出した廃品だ。桑托労が十四歳の夜、突然「光の卵をくれ」と泣き叫び、彼は排水管を三日這い回ってこれを探した。少年は玉を頬に当て、初めて笑った。「太陽の胎内はこんな音ですか」。
玉の底には亀裂が走り、泡一つ凍っている。
画家は知っていた。
あの泡こそ、少年が見た唯一の「太陽」だと。

2

遺伝子研究所の冷蔵庫から、一枚の手帳が発見された。

実験体No.7観察記録
・第1270日:被験者が「西」と書かれた壁面に小便。方向感覚の異常か。
・第3015日:提出した「地下都市換気扇写生図」に、不可解な螺旋模様。
 →監視カメラ解析結果:換気扇の影の動きを1/3速で描写(※三倍速生命体の主観時間か)
・最終処置前:大気浄化データ改竄を命令。特に紫外線B波数値は致死量の2.3倍に。

最後の頁に血痕で書かれている。
「許せ、彼には太陽が必要だった」

3

検死官は桑托労の左腕を顕微鏡下に置いた。
紫外線による皸裂の中に、0.2ミリの文字列が刻まれていた。

線の太さ: 毛細血管の破裂跡を利用
インク成分: 涙、塩化ビニル、血中タンパク質
解読結果:

先生へ
嘘の太陽(蛍光灯)で描く螺旋は
本物の太陽(死)への祈りです
私の海馬はもう
換気扇の回転音を
光の音と誤認します

検死報告書の余白に、若い助手が鉛筆で書き込んでいた。
「これが『芸術的才能の暴走』というやつか?」

4

磁気テープの酸化が進んでいた。

【00:12】 砂嵐のようなノイズ
【03:45】 「……先生の蛍光灯絵画、美しかった。本物より優しい」
【07:33】 紙が破れる音(※後日、焼け残ったスケッチブックの頁と一致)
【11:02】 笑い声。周波数解析で地鳴りと判明(※同日の地下300m岩盤崩落音)

テープケースに張り付いていた黒い粉。
分析結果:鱗粉の化石(※蝶の種は不明)

5

画家は桑托労の遺品の硝子玉を地上に置いた。
三日後、透明な羽根のトンボが湧いた。

  • 全個体が西を向いて死亡
  • 腹部に螺旋模様(※換気扇の影と相似)
  • 一匹だけ羽根が完成していた個体は、玉の亀裂から泡を抜き取るように消えた

保健局が消毒剤を撒いた夜、画家は地下室で硝子玉を砕いた。
凍っていた泡が解放され、天井の蛍光灯に吸い込まれていく。

その光を浴びながら、彼は初めて気付いた。
三倍速で老化するのは、実はこちらの方だったと。